グランドラインとは

来歴) 

  • 1960年博多山笠で有名な福岡市に生まれる。

  (学生時代)

  • 高取焼の窯元がある事で有名な地域にある高取小学校、高取中学校時代を過ごす。
  • 市内プロテスタント系の西南学院高校へ進学。そこそこの成績だった為、特別クラスで過ごしながらフォークギター、エレキベースに明け暮れる。
  • ICU、早稲田大学、上智大学等東京有名私大を受験するが本来勉強嫌いの為、全て不合格。浪人もしたくなかったので、超滑り止めで合格した市内マンモス私立大学福岡大学法学部へ進学。
  • 特に目的もなく授業へ出たが、それなりの成績を取ってしまったので、1年生で大学の授業を見切った後は、授業そっちのけで、福岡大学交響楽団のコントラバス奏者として、コントラバスへハマる。
  • その後、首席奏者、JMJオーケストラの首席奏者となり、2年次、3年次1桁台の単位取得にも、留年せずに4年時に満単取得して卒業と言う快挙を成し遂げ、ギリギリ卒業したが、結局、入学式も卒業式も出席しなければ卒業写真も撮ってない為、卒業証明書だけしか手元に無い。(社会人浪人時代)
  • 大学卒業後、惣菜の配送アルバイトをしながら1年過ごし、翌年、東京芸術大学コントラバス別科を受験するが不合格。当時の師匠の「二流のプロになるよりも、一流のアマチュアになれ」と言う一言でプロへの道を諦め趣味として精進する事を決意。
  • 特に就職活動もせず、東京へ出てオーケストラ事務局への就職を考えているところへ、父親から、今からはコンピュータの時代が来る。お前もコンピュータの勉強をしてみないかと言われて、誘われ父親が経営する油圧機器製造メーカ西圧へ入社。当時、まだNEC9801が生まれる前だった。

  (エンジニア時代)

  • 入社後、2年半、福岡工業大学電子工学科入江研究室へ出向。トランジスタやダイオードの現物を見ながら電子工学の勉強に励み、電子工学やコンピュータの面白さに目覚める。
  • 帰社後、電子機器事業部長として、油空圧機器制御装置の開発へ9年従事。数々のユニークな装置を自身で開発する他、新日本製鐵所との共同特許となった、構内鉄道のレール状態を測定する「軌道検測装置」の開発プロジェクトリーダを務めた。
  • その後、社内の事情が鬱陶しくなり、30歳で退社。「軌道検測装置」でも高い技術を証明した、福岡工業大学の先輩である佐渡正明氏の佐渡エレクトロニクスへ入社。CPUボードの設計、アートワーク、プログラミングなどの業務へ3年従事するが、文化系出身の為、高度な電子物性の知識まで要求されるハードウエァ設計の難しさを実感。又、当時担当していた出現したばかりのC言語のプログラミングのプロジェクトで納期遅延をして、ソフトウエアエンジニアとして自信も無くし、社長と二人の会社で、自身が後を引き継ぐ自信を無くして退社。

  (営業時代)

  • 同年、技術経験を買われ、35歳と言う営業経験0にしては年齢が高かったにも関わらず、常用発電機、コージェネレーションシステムメーカー「神鋼造機」九州営業所へ採用される。
  • 当時としては破格の待遇で、本社での研修、支社での研修を受け、営業として4年従事。入社後、すぐに設計部門で開発されたExcelの発電装置メリット計算プログラムに初めて接すると共に、プログラミング知識を活かして、営業で利用しやくする為に大幅改造を行い、全国の営業所で採用。メリット計算に関して指導的な役割を果たすと共に、社内では唯一、全ての部門を担当する営業として実績を積む。
  • 下関海響館、阿蘇ファームランド、熊本赤十字病院他、九州、山口の大型案件を担当しながら、当時普及し始めたインターネットが個人レベルでの起業を後押しするだろうと考えていたところ、父親から某社向けの大型案件の引き合いを受ける。当時三菱電機の見積が非常に高い為こちらへ打診が来た物だった。
  • 営業として生きるか、再度ソフトウエアエンジニアとして生きるか迷いながら、40歳と言う年齢を考えれば、独立する年齢としては最後のチャンスと考え円満退社。

  (グランドライン時代)

  • 大型案件の開発を年末年始返上で短期間でやり遂げ成功。客先のプロジェクトリーダである川崎重工顧問の担当者から「、これまでどんな企業へ依頼しても実現しなかった物が出来上がった」と言われ自信を付け、独立資金としては充分過ぎる売上を得て、2001年OFFICE GRANDLINE 設立。名前は当時長男がファンだったワンピースより取ったが、こんなに長い間人気の漫画となるとは思わなかった。
  • 前職の神鋼造機技術部からメリット計算プログラムの開発依頼を受け、先の案件で利用したVisualBasicと比較して、コンパイラシステムならDelphiが最も強力と考え、Delphiにより某病院向けのソフト等を開発。
  • 2002年より、神鋼造機時代の営業担当として知り合った、周防運輸株式会社友景社長が運営する、株式会社アウォークス=現株式会社タイムブレインへシステムプロデューサとして参加。当時、アニメーションツールとしてしか見られてなかったFlashの可能性に注目し、斬新なALL FlashのWEBサイト等を開発したが、これは当時、時代には早すぎて不評だった。
  • 2003年、現スイスベルン交響楽団首席コントラバス奏者石川滋氏と知遇を得て、氏の公式HP管理人となり、現在も運営中。
  • 2005年よりデジタルコラボレーションチーム デジタルブレーメンズ(その後、インビジブルデザインへ移動)参加により開発拠点を福岡市中央区渡辺通へ移動。同時に開発の重点をWEBアプリケーションへ移行。本格的にRIAへ方向転換する。
  • 2007年、Flashをフロントエンドに使用し、サーバサイドへPHPを使用した統合運輸業務システムDEBIWSをリリース。本システムは日本の運輸業界では恐らく初のRIA(RichInternetApplication)システムとなった。このDEBIWSは思想の先進さから、陳腐化せず現在も現役で稼働している。
  • 2008年、ExcelBVAによる某販売管理システムを開発、BVAによるシリアル通信で非接触カードリーダーの読み書きや、シーケンサーとのデータ通信等、工業系のExcelの可能性を広げ、重要なレパートリーとなる。現在まで、幾つかのバージョンを作成し、現在も新規引き合い中。
  • 2009年、AIRをRIAシステムへ利用した、戦略型配車システムTb-sicsを開発。
  • 2011年、AIRによる音響機器関連メーカ向けのデータ設定装置を開発。AIR製品の新分野へも可能性を見出す。
  • 2011年、DEBIWSシステムを専用サーバへ移管。レンタル専用サーバでのサーバ構築を行う。
  • 2011年、よりユーザフレンドリーな配車システム化する為Tb-sicsを新規開発中

趣味

コントラバス演奏
アウトドア(主にWeberでの自宅バーベキュー)
美術鑑賞、鉛筆画
ブログ
家庭菜園

家族

妻+男二人+女一人

以上2011年6月末現在

※文中、独立以後の客先、案件の社名は非公開としています。

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